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ごあいさつGreeting

写真:小出 叡

みのり園は岡山県中央部の標高330mの澄んだ空気、太陽の輝き、緑豊かな吉備高原台地にあります。
この恵まれた自然環境のもと、児童達には運動や様々な行事、活動等を通して、家庭、家族にかわる温かい、楽しい生活が送れるような環境づくりに努めています。
そして、職員との触れ合いの仲で、お互いの人権を尊重し、正しい生活習慣を身につける。また、自立心を養い、将来社会人として力強く行き抜く気力と体力、能力を育成することを目指しています。

園長 小出 叡

沿革History

写真:小出 謹一郎

創立者 小出 謹一郎

昭和初期、故医師小出謹一郎は、当時の農村不況がもたらした不穏な世相から、明るく健康で、豊かな住みよい農村社会を築きたいと考えました。それには農民、特に若者の自覚を促し、自立的・意欲的な実践活動を促進・助成するとともに、保健衛生思考の普及向上が最大の急務だと確信しました。そこで謹一郎は、昭和8年に自らの私財を投じて、財団法人農村強化団体施設事業助成会を設立しました。
その後、活動の精神と事業を小出永雋が継承発展させましたが、永雋の急逝により、妻である小出不二恵がその意思を受け継ぎ、永雋の建てた病棟を改装しました。
みのり園の今日の姿は、設立当時の敗戦後の街にあふれた浮浪児を収容・救済する活動から、時代の変化に合わせながら、すべての児童に愛情と健やかな生活を送られる活動へと発展してきました。

昭和8年3月
開業医小出謹一郎が当時の世相から醇朴な農村気質が失われつつあることを慨き、青年団、婦人会活動の助成、講演会・講習会の開催などにより質実剛健な農民気質を養うと共に庶民の生活の向上を目的として、私財を寄付して財団法人豊野村強化団体施設事業助成会を設立。
昭和11年4月
大阪大学医学部に在勤していた小出謹一郎の嗣子小出永雋が帰村し、父謹一郎の事業を助けるかたわら、農村の児童、幼児の体位の虚弱を憂い、保健相談所を開設して乳幼児の検診、寄生虫の駆除、伝染病の予防などの事業を推進。
昭和14年1月
財団事業を単なる青年団、婦人会などの助成事業の域から脱皮して、積極的な教育福祉事業の推進をはかるために法人名を財団法人豊野助正会と改称。
昭和15年4月
隣保館(現在のホール 延べ312㎡)を建設し、地区内幼児の託児所を開設する一方、ここを会場として講習会・講演会の開催、映画、芝居の上映(演)などによる健全な農民娯楽の普及と農村文化の向上事業を推進。
昭和21年4月
別館(115㎡)を増設し、授産場をかねて、戦後の農村女子青年の補習教育を目的とした助正学園を開設。(昭和25年3月廃園)
昭和23年8月
児童福祉法の施行により、隣保館事業として実施していた託児所を豊野保育園と改称。
昭和25年10月
医師小出永雋の急逝(昭和24年4月)により、入院病棟を改装して養護施設みのり園を附設開園。
昭和27年4月
法人の組織を変更して、社会福祉法人豊野助正会と改称し、現在に至る。
昭和43年5月
民間社会福祉施設ご視察のため、常陸宮ご夫妻ご来園。
平成10年3月
豊野保育園閉園。